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祈りを捧げるような日々

大学の友達と大学の敷地の近くで偶然会い、

会う場所も喋ってる内容も何にも変わらないなと言いあった。

日々何かが変わっているように見えて、

結局は何も変わらないのかもしれない。

変わったのは互いに結婚したことと、多少の金を持っていること。

それ以外、僕らは何にも変わっていなかった。

あとはまあ歳をとったことだけど。

僕らは日々の労働に心血を注いでいるが、

何にも実を結ばず、同じところをグルグル回っている。

ヨドバシカメラの前で再会した僕らはそう思った。

たぶん互いに同時に思ったのだろう。

喋る前に顔を見合わせた時点でもう会話が始まっていた。

それは今までの日々をねぎらうような、ほっとするような、

それでいて、もう同じ過去には戻れないような、

それら全てが混ざり合ったような気分だった。

もちろん互いの色々な近況を交換したけど、

きっとそれには意味なんてない。

ただ、言葉をやり取りすること。

それ自体に意味があるように思った。

妻がどうとか、仕事がどうとか、どこに住んでいるかとか、

そういう情報は重要なようでいて、全く重要ではない。

「ところで○○先生が本を出したの知ってる?」

「さあ。知らない。どんな内容?」

「15年前に出した本と同じ内容。書きっぷりは変わっているけどね」

変わっていないのは僕らだけではなかった。

教員も変わっていない。それは大学のHPを見れば明らかだ。

はっきりとした研究成果を出している教員なんてそうそういない。

先行研究の紹介だったり、まとめだったり、何もしていない人もいる。

これから僕らは変われるのだろうか。

変われないのだとしたら日々の労働はいったい何のためなのか。

何処へ向かい、何を維持して、いつまで続けるのだろうか。

村上春樹のような書き方をしたところで答えはでない。

答えのないものに無理やり答えを出そうとしているのだ。

だから日常というのはどうしようもないのである。

日々の生活とは祈りのようなものなのかもしれない。

僕らは毎日静かに祈りを捧げている。

そしてきっとこういう日のために祈っていたのだ。

一通りを話し終えて、僕らは別れた。

それぞれの日々に戻るために。

こういうときにタバコが吸えたら、

きっと一際大きな煙をため息と共に吐き出していただろう。

言葉にならない想いを内に秘め、

私は札幌の雑踏の中へ紛れ込んだ。

ドラマだったらここで終えることもできただろう。

しかし、日常はここで終われない。

それがどうにも格好つかない。

まあしょうがないけど。